1999年の送別会

子供を通わせていた保育園は、1学年1カテゴリーで15名程度のこじんまりとしたところでした。

そのためカテゴリー替えなど無く、5通年絶えず平等。

そうするとその中でしっかりいるんです読者になりたがる母が。

Aさんはママ達の中でも歳がリーダーで、若い母にとりまして「姉御肌」という感じで頼られて要る振りでした。

我々はそのAさんは同い年なので殊に用いることもなく、きちんと弱々しいレジェンドも聞いていたので、お礼程度のお付き合いでした。

そのAさんから何度となく「◯◯様の母も次回うちに飲みに欠ける?」って誘われていました。

ただし気乗り断ち切るので絶えず断っていました。

ある時また誘われたので亭主に話したら「人も生じるなら試しに行ってみたら?」というので、いよいよその飲み会に行くことになりました。

打ち上げの日光、子連れでお邪魔するといったとっくに数人のママ達が来ていました。

一員を見るとみなさんAさんを「頼りにしている」方々。

この時点で気持ちはどんより。

そういった元気を払拭すべく、私もAさんやママ達に言及を合わせようと輪に入って余談していました。

そうなると話す本質がトータル後ろ向きなことばかり。

保育園の席の多さ、教官クライアントの伝授の行為、園長の悪口…しまいには飲み会に来ていない母の悪口…。

我々はその言及にほとんど賛同できないので、ほんとに辛かっただ。

先ずAさんはそんな話をする結果、型式を吐出し読者に君臨しているのでしょう。

なので、我々はそそくさと輪から飛び子供達相手にずっと遊んでいました。

子守りをするために飲み会に参加したようなものです。

その時の私の素行を察したのか、以上Aさんからは飲み会に誘われなくなりました。

後ろ向きな言及ばかりの打ち上げは必ずや辛いです。

その時の

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